はじめに
1980年代後半、日本はかつてないほどの好景気を迎えていました。街にはブランド品を手にする人があふれ、土地や株の値段は毎年のように上昇。まさに「バブル景気」と呼ばれる夢のような時代でした。
でも、その“泡(バブル)”のような繁栄は長く続きませんでした。
1990年代に入ると、土地価格や株価が一気に下がり、日本経済は急速に冷え込みます。この出来事が、のちに「バブル崩壊」と呼ばれる転換点となりました。
この記事では、そんな日本のバブル景気がどのように始まり、なぜ崩壊してしまったのか、そしてその後の「アベノミクス」まで、経済の流れをやさしく解説していきます。
「プラザ合意ってなに?」「なぜ土地がそんなに高くなったの?」といった疑問を持つ方にも、できるだけわかりやすく伝えていきますね😊
当時を知らない世代にとっても、今の日本経済を理解するうえでバブルの歴史は欠かせません。
平成時代を彩ったこの出来事を、いっしょに振り返ってみましょう。
プラザ合意とは?(背景と導入)
まず、バブル景気の始まりを語るうえで欠かせないのが「プラザ合意」です。
1985年、アメリカ・ニューヨークのプラザホテルに、世界の主要5か国(アメリカ、日本、イギリス、ドイツ、フランス)の財務大臣や中央銀行総裁が集まりました。
当時、アメリカは深刻な貿易赤字に悩まされていました。日本製の自動車や家電が世界中で人気を集め、アメリカ企業は苦戦していたんです。
このままではアメリカ経済が立ち行かなくなる――そうした危機感から、ドルの価値を下げる(=円の価値を上げる)ことが合意されました。
この歴史的な取り決めが、のちに「プラザ合意」と呼ばれるようになります。
プラザ合意の直後、為替相場は急速に動きました。
それまで1ドル=約235円だったのが、わずか数か月で1ドル=150円前後にまで円高が進行。これは、日本企業にとって大きな打撃でした。
なぜなら、同じ商品をアメリカに売っても、円高になると売上が目減りしてしまうからです。輸出で稼いでいた日本企業は苦しくなり、政府は「なんとか国内経済を支えよう」と動き始めました。
この歴史的な取り決めが、のちに「プラザ合意」と呼ばれるようになります。
詳細は Wikipedia:プラザ合意 も参考にどうぞ。

ここから、日本のバブル景気の幕が上がるのです――。
バブル景気の形成(円高から金融緩和へ)
プラザ合意によって急激に円高が進んだことで、日本企業の輸出は厳しくなりました。
「このままでは景気が冷え込んでしまう!」――そう考えた政府と日銀は、経済を刺激するために金融緩和(低金利政策)を実施します。
金利を下げると、お金を借りる人が増えます。
会社は新しい商品を開発したり、工場は最新の設備を導入したり、個人は住宅ローンを組んで土地やマンションを買うようになりました。
こうして世の中にどんどんお金が流れ込み、経済は再び勢いを取り戻します。
しかしその勢いは、やがて“熱狂”に変わっていきました。

土地の値段は毎年のように上がり、銀行も「土地さえ担保にすれば、いくらでも貸す」といったムードに。
東京の地価はとくに異常で、「東京都の土地だけでアメリカ全土を3回買える」と言われたほどです。
人々は株や不動産に投資し、企業は拡大路線を突き進みました。
街には高級ブランド店やディスコが立ち並び、バブル時代を象徴する華やかな光景が広がります。
この好景気こそが、後に語り継がれる「バブル景気」の正体です。
詳しくは Wikipedia:バブル経済 にも詳しくまとめられています。

この好景気こそが、後に語り継がれる「バブル景気」の正体です。
ですが、この熱狂にはすでに“崩壊への種”がまかれていたのです……。
バブル崩壊の過程(金融引き締めの影響)
土地や株の価格があまりにも高騰しすぎたことで、政府は次第に「このままでは危険だ」と感じ始めました。
こうして1989年ごろから、日銀は金利の引き上げや融資の制限など、景気を冷ますための金融引き締めを行います。
金利が上がると、当然ながらお金を借りる人は減ります。
土地を買うための融資が難しくなり、不動産取引は急速に冷え込みました。これに連動して株価も下落し、企業や個人の資産価値がみるみるうちに減っていきます。
たとえば、1億円で買った土地が数年後には半分の価値に……。
それでも銀行への借金は残るため、多くの人が苦しむことになりました。
この連鎖が止まらず、経済全体が縮小していきます。
会社の倒産、ボーナスの減少、就職の難化――社会全体が重い空気に包まれました。
そして1990年代に突入すると、かつての熱狂が嘘のように消え去り、日本経済は長い低迷期に入ります。
この現象こそが、誰もが耳にしたことのある「バブル崩壊」です。

好景気を支えていた“泡”は破裂し、多くの人々が現実と向き合うことになりました。
ここから日本は、長く続く経済の停滞期――いわゆる「失われた10年」へと進んでいきます。
バブル後の日本経済とアベノミクスまで
バブルが崩壊したあとの日本は、長く冷たい冬のような時代を迎えました。
土地や株の価格が下がり、企業は資産価値を失い、銀行には不良債権(返済が難しい貸付金)が山のように積み上がりました。
人々の間には「もう無駄遣いはやめよう」という節約ムードが広がり、消費も落ち込みます。
企業は投資を控え、景気はなかなか回復しません。こうして日本経済は、1990年代から2000年代初期にかけてデフレ(物価が下がり続ける状態)に陥りました。
政府は景気を回復させるために、公共事業の拡大やゼロ金利政策など、さまざまな手を打ちましたが、思うような成果は出ませんでした。
この時期が「失われた10年」、そしてその後も続いた「失われた20年」と呼ばれています。
やがて2012年、第二次安倍政権が発足すると、政府は再び経済の立て直しに本腰を入れます。
その政策こそがアベノミクスです。
アベノミクスは「三本の矢」と呼ばれる三つの柱で構成されていました。
- ① 大胆な金融緩和(お金を市場に流す)
- ② 機動的な財政出動(公共事業や支援策)
- ③ 成長戦略(企業改革・働き方改革など)
これにより円安が進み、株価が上昇。失業率も改善し、日本経済は一時的に明るさを取り戻しました。
とはいえ、少子高齢化や物価上昇など、課題は今も続いています。
バブル崩壊からアベノミクスまでの流れを振り返ると、日本経済がどれほど長い時間をかけて“立て直し”を図ってきたかがわかります。
そして、この歴史の積み重ねが、今の私たちの暮らしや働き方にも深く関わっているのです。
より詳しく理解したい方には、以下の書籍がおすすめです👇
📚平成金融史 バブル崩壊からアベノミクスまで
まとめ
今回の記事では、日本のバブル景気がどのように生まれ、どのように崩壊していったのかを振り返りました。
- 1985年のプラザ合意により、急速な円高が進行
- 政府と日銀が行った金融緩和(低金利政策)が景気を刺激
- 土地・株価の急騰によるバブル景気が発生
- 1989年以降の金融引き締めで資産価格が急落
- 経済が長期低迷し、のちのアベノミクスへとつながる
バブル景気は、経済の勢いと人々の心理が作り出した「泡」のような現象でした。
そしてその泡が弾けたあと、日本は長い時間をかけて現実と向き合い、再び立ち上がろうとしてきました。
今を生きる私たちにとっても、この歴史は決して過去の話ではありません。
お金や投資、社会の動きを理解するうえで、バブルの教訓は今なお大切なヒントを与えてくれます。
「経済史を知ることは、未来を知ること。」
そう思いながら、平成の歩みをこれからも一緒に見つめていきましょう😊
よくある質問
- Qバブル景気のピークはいつ頃だったの?
- A
1989年(平成元年)から1990年にかけてがピークです。
日経平均株価は3万8,915円を記録し、地価も全国的に最高水準に達しました。
- Qバブル崩壊後、なぜ景気はすぐに回復しなかったの?
- A
主な理由は、銀行が抱えた不良債権の処理が遅れたことと、人々の消費マインドが冷え込んだからです。
その結果、投資や消費が減り、長期的なデフレに陥りました。
- Q今の日本に、再びバブルが起きる可能性はある?
- A
過去ほどの規模では起きにくいといわれています。
ただし、金利や投資ブームの動き次第では、部分的なバブル(不動産・株式など)が発生することもあります。
バブルの歴史を学ぶことで、冷静な判断力を養うことができますね。




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