1990年代後半から2000年代前半、ゲーム好きの多くが毎月楽しみにしていたものがあります。それがゲーム雑誌です。
今はYouTubeやSNS、攻略サイトなどでゲーム情報をすぐに手に入れることができますよね。でも、インターネットが普及する前は、ゲームの最新情報や攻略、裏話を知るための中心メディアは雑誌でした。
その中でも、PlayStationユーザーにとって特別な存在だったのが『電撃PlayStation』です。1994年に誕生し、約25年間にわたって続いたこの雑誌は、単なるゲーム情報誌ではありませんでした。
新作ゲームの情報や攻略記事はもちろん、
- 読者投稿コーナー
- イラスト文化
- 漫画付録
- マニアックなゲームの特集
など、さまざまな要素が合わさり、ゲーム文化そのものを支えるコミュニティのような存在になっていたのです。
一方で、2020年に定期刊行は終了しました。これは単なる雑誌の休刊ではなく、ゲーム雑誌というメディアの時代が大きく変わった出来事とも言われています。
ここでは、PlayStation世代のゲーム文化を語るうえで欠かせない『電撃PlayStation』の歴史をたどりながら、
- なぜ人気だったのか
- どんな文化を生んだのか
- ゲーム雑誌黄金期とは何だったのか
- なぜ休刊したのか
といったポイントを順番に整理していきます。
当時読んでいた人はもちろん、「名前は聞いたことあるけど実はよく知らない」という人にも、ゲーム雑誌文化の空気が伝わるように見ていきましょう。🙂
結論:電撃PlayStationとは「PS世代のゲーム文化」を作った雑誌
最初に結論からお話しすると、『電撃PlayStation』はPlayStation時代のゲーム文化を支えた専門雑誌でした。
単なるゲーム情報誌ではなく、PSユーザーのコミュニティや文化を生み出したメディアと言ってもいい存在です。
特に大きな特徴は、次の4つです。
- PlayStationに特化した専門ゲーム雑誌
- 読者参加型の投稿文化が非常に強かった
- マニアックなゲームや新しい作品を積極的に紹介した
- 攻略冊子や漫画など付録文化が豊富だった
当時はインターネットがまだ一般的ではなく、ゲームの情報を知る方法は限られていました。
新作ゲームの情報、攻略、開発者インタビュー、読者投稿など、ゲームに関するあらゆる情報が一冊の雑誌に集まっていたのです。
その中でも電撃PlayStationは、
- 濃い攻略記事
- 熱量の高い読者投稿
- マニアックなゲーム特集
といった要素で、多くのPlayStationユーザーから支持されました。
そして2020年、約25年続いた定期刊行が終了します。
これは単に一つの雑誌が終わったというよりも、ゲーム雑誌が中心だった時代の終わりを象徴する出来事でした。

次は、まず「電撃PlayStationとはどんな雑誌だったのか」を、基本から整理していきます。
電撃PlayStationとは?まず基本を整理
まず最初に、「電撃PlayStationってそもそもどんな雑誌だったの?」というところを整理しておきましょう。
結論から言うと、PlayStation専門のゲーム雑誌です。
現在はゲームメディアもYouTubeやニュースサイトが中心になりましたが、1990年代〜2000年代は雑誌がゲーム情報の中心でした。新作情報、攻略記事、開発者インタビューなど、多くのゲームファンが毎月雑誌を楽しみにしていた時代です。
そんなゲーム雑誌の世界の中で、PlayStationユーザーから強い支持を集めていたのが『電撃PlayStation』でした。
創刊は1994年|PlayStationと同時期に誕生
『電撃PlayStation』が誕生したのは1994年です。
PlayStationが発売された年とほぼ同じタイミングで、当初はゲーム雑誌『電撃PCエンジン』の増刊号としてスタートしました。
その後、PlayStationの人気拡大にあわせて1995年に独立創刊し、本格的なPlayStation専門誌として成長していきます。
1990年代後半は、PlayStationがゲーム業界の中心になっていった時代でもありました。
- 1994年 PlayStation発売
- 1997年前後 PSソフトが爆発的ヒット
- 2000年 PlayStation2登場
まさにPlayStationの歴史とともに歩んだ雑誌だったわけですね。
PlayStationというハードそのものについて知りたい人は、こちらの記事も参考になります。
PS専門誌という珍しい立ち位置
電撃PlayStationの最大の特徴は、PlayStationだけを扱う専門誌だったことです。
当時のゲーム雑誌を簡単に整理すると、次のような違いがありました。
| 雑誌 | 特徴 |
|---|---|
| ファミ通 | すべてのゲーム機を扱う総合ゲーム雑誌 |
| 電撃PlayStation | PlayStation専門のゲーム雑誌 |
| PlayStation Magazine | PSタイトル中心の情報誌 |
つまり、PlayStationユーザーにとっては
- 幅広いゲーム情報を見るなら ファミ通
- PlayStationの情報を深く知るなら 電撃PlayStation
という使い分けが自然に生まれていました。
この「ハードごとの専門誌」という文化も、今ではかなり珍しいものになっています。
月2回刊という異例の発行ペース
もう一つ面白い特徴があります。それは発行ペースです。
電撃PlayStationは途中から月2回刊、つまり月に2冊発売されるようになりました。
これはかなり珍しいスタイルです。
なぜそんなペースで出していたのかというと、理由はシンプルで、ゲーム情報のスピードが重要だったからです。
当時のゲーム情報の流れはこんな感じでした。
- ゲームメーカーが新作を発表
- 雑誌がスクープ記事を掲載
- 読者が雑誌で初めて情報を知る
つまり、インターネット以前の時代では、雑誌がいちばん早いニュースメディアだったのです。
そのため、より早く情報を届けるために、電撃PlayStationは月2回刊というスタイルを採用していました。

こうした特徴が重なり、『電撃PlayStation』はPlayStationユーザーにとって欠かせない雑誌になっていきます。
なぜ人気だった?電撃PlayStationの3つの特徴
電撃PlayStationが長く支持された理由は、単にPlayStationの情報を載せていたからではありません。
多くの読者が「この雑誌はちょっと違う」と感じる、独特の編集方針がありました。
特に大きかったのは、次の3つです。
- マニアックなゲームまで丁寧に扱う編集方針
- 読者参加型の濃い投稿文化
- 豪華な付録文化
順番に見ていきましょう。
① マニアックなゲームを積極的に特集していた
電撃PlayStationの大きな特徴のひとつが、メジャー作品だけでなくマニアックなゲームも積極的に取り上げたことです。
ゲーム雑誌の多くは、売れ筋タイトルや大作ゲームを中心に扱う傾向があります。もちろんそれも重要ですが、それだけでは読者の好奇心を満たしきれません。
電撃PSはむしろ、
- 知名度は低いけれど面白い作品
- クセが強いけれど熱心なファンがいる作品
- ジャンルが少しニッチなゲーム
こうしたタイトルを深く掘り下げる記事が多かったのです。
たとえば、次のような作品は電撃PSの特集で人気が広がったと言われることがあります。
- 高機動幻想ガンパレード・マーチ
- 東京魔人學園剣風帖
- 九龍妖魔學園紀
こうしたタイトルは、広告が大量に出るタイプのゲームではありませんでした。
それでも雑誌の特集によって読者の興味が広がり、口コミで人気が伸びるという現象が起きることもありました。
つまり電撃PSは、単なる情報媒体ではなく、ゲームの魅力を「発掘するメディア」でもあったのです。
② 投稿文化がとても活発だった
もう一つの大きな特徴が、読者投稿コーナーの存在です。
当時のゲーム雑誌には投稿ページがよくありましたが、電撃PlayStationの投稿欄は特に熱量が高いことで知られていました。
投稿内容はさまざまで、
- ゲームネタの投稿
- イラスト投稿
- 読者コラム
- ちょっとした小ネタ
など、雑誌の中に小さなコミュニティが生まれていたような状態でした。
投稿が掲載されると、自分の名前やイラストが雑誌に載ります。
それが嬉しくてまた投稿する人が増え、雑誌の読者同士がゆるくつながる空気ができていました。
この投稿文化は、現在のSNS文化にも少し似ています。
| 当時 | 現在 |
|---|---|
| 雑誌の投稿欄 | SNSの投稿 |
| イラスト投稿 | イラストSNS |
| 読者ネタ | ネットミーム |
今思うと、SNS的な文化の原型がすでに雑誌の中にあったとも言えますね。
③ 付録文化がとても豪華だった
電撃PlayStationのもう一つの魅力が付録の充実です。
雑誌を開くと、よく小冊子がついていました。
代表的なものには次のような付録があります。
- ゲーム攻略冊子
- 特集ブックレット
- 4コマ漫画冊子(電撃4コマなど)
つまり電撃PSは、読者にとって
「雑誌+ミニ本」
のようなボリュームだったのです。
本屋で雑誌を手に取ったとき、少し分厚く感じることがありますよね。
その理由の多くが、こうした付録でした。
攻略情報をじっくり読む人、漫画を楽しみにする人、投稿ページを見る人など、読者によって楽しみ方が違うのも電撃PSの面白いところでした。

こうして見ると、電撃PlayStationは単なるゲーム雑誌というより、ゲーム文化を丸ごと詰め込んだメディアだったと言えるでしょう。
PS世代にとって電撃PlayStationは何だったのか
電撃PlayStationを語るとき、単に「昔あったゲーム雑誌」とだけ言ってしまうと、少し足りません。
当時の読者にとっては、もっと生活に近い存在でした。少し大げさに聞こえるかもしれませんが、ゲームの発売日までのワクワクや、遊んだ後の余韻まで含めて支えてくれる相棒のような雑誌だったんです。
今の感覚だと、ゲームの情報はスマホで一瞬で調べられます。新作発表も公式Xや動画配信ですぐ見られますし、攻略も検索すればだいたい出てきます。
でも、当時はそうではありませんでした。
発売前の空気を先に運んでくる存在だった
新作ゲームが気になったとき、まず見るのは公式サイトではなくゲーム雑誌でした。
発売日、画面写真、開発中の情報、ちょっとしたコメント、期待作ランキング。そうした情報を毎号めくりながら、「次はこれが来るのか」と想像をふくらませていたんですね。
特にPlayStationは新作の本数が多く、ジャンルもかなり幅広いハードでした。
- RPG
- アクション
- ホラー
- 恋愛シミュレーション
- 実験的な小粒タイトル
こうした作品の中から、自分に合う1本を見つけるには、雑誌の特集やレビューがかなり重要でした。
つまり電撃PlayStationは、ゲームを「買った後」に読むものというより、買う前の期待を作るメディアでもあったわけです。
攻略本が出るまでの“つなぎ”でもあった
ゲームの攻略情報も、今とはかなり違っていました。
完全攻略本が出るまでには時間がかかることが多く、そのあいだ読者を支えていたのが雑誌の攻略記事です。
たとえば、
- 序盤の進め方
- ボスの倒し方
- 隠し要素のヒント
- 取り返しのつかない要素の注意
こうした情報を雑誌で確認しながら進める人は少なくありませんでした。
ここで大事なのは、雑誌と攻略本は役割が違うということです。
| 媒体 | 主な役割 | 向いているタイミング |
|---|---|---|
| ゲーム雑誌 | 速報・特集・途中までの攻略 | 発売前〜発売直後 |
| 攻略本 | データ整理・完全攻略 | やり込み段階 |
この違いを知っておくと、当時なぜ雑誌が必要だったのかが見えやすくなります。
「攻略本があるなら雑誌はいらない」と思いがちですが、実際には逆で、攻略本が出る前の時間を埋めるのが雑誌だったんですね。
投稿欄を見るために買っていた人も多かった
電撃PlayStationの魅力は、情報や攻略だけではありません。
読者によっては、ゲーム記事より先に投稿コーナーを開くこともありました。
イラスト、ネタ、読者コメント、ちょっとした掛け合い。そこには攻略サイトにはない、人の気配がありました。
今のSNSは誰でもすぐ発信できますが、当時は投稿して、載るかどうかを待つ時間がありました。その分、掲載されたときの嬉しさはかなり大きかったはずです。
しかも、掲載された投稿はただの“おたより”ではありません。
- 読者同士の空気を作る
- 雑誌の個性を強くする
- その雑誌ならではのノリを育てる
こうした役割を持っていました。
この意味で電撃PSは、単なる情報誌ではなく、読者参加型の文化装置でもあったと言えます。
今のメディアに置き換えると何に近いのか
感覚をつかみやすくするために、当時の役割を今のメディアに置き換えると、だいたい次のようになります。
| 当時の電撃PlayStationの役割 | 今の近い存在 |
|---|---|
| 新作情報を知る | 公式YouTube、ニュースサイト、SNS |
| 攻略を読む | 攻略Wiki、動画、ブログ |
| 読者投稿を楽しむ | X、イラストSNS、コミュニティ投稿 |
| 付録や漫画で世界観を深める | 特典冊子、配信企画、ファンコンテンツ |
こうして並べてみると、今は複数のサービスに分かれている役割を、昔のゲーム雑誌は一冊でまとめて持っていたことが分かります。
これが電撃PlayStationの強さでした。情報、攻略、読み物、コミュニティが一か所に集まっていたからこそ、読者の記憶にも強く残っているのです。
懐かしさだけでは終わらない価値がある
「昔はよかった」で片づけるのは簡単ですが、電撃PlayStationの面白さは懐かしさだけではありません。
どんな作品を推すのか、どこまで深く特集するのか、どうやって読者を巻き込むのか。そこには、紙の時代ならではの編集の工夫がぎっしり詰まっていました。
今でもPlayStation初期の空気を体感したいなら、ハードそのものの歴史を知っておくと見え方が深くなります。

電撃PlayStationは、ゲームを紹介する雑誌であると同時に、PS世代がゲームをどう楽しんでいたかを映し出す記録でもありました。
ゲーム雑誌黄金期とは何だったのか
電撃PlayStationを理解するうえで欠かせないのが、いわゆる「ゲーム雑誌黄金期」という時代です。
これはおおよそ1990年代〜2000年代前半を指します。この時代は、ゲームの情報を知るための中心メディアがインターネットではなく雑誌でした。
つまりゲーム好きにとって雑誌は、ニュースサイトやYouTube、SNSの役割をすべてまとめて持っていた存在だったのです。
ゲーム雑誌が情報の中心だった時代
今はスマートフォンで検索すれば、ゲームの情報はすぐ見つかります。しかし当時は、ゲームの最新情報を知る手段はかなり限られていました。
そのため、多くの人が次のような流れでゲーム情報を集めていました。
- 本屋でゲーム雑誌を買う
- 新作ゲームの情報をチェックする
- 気になったタイトルをメモする
- 発売日まで待つ
発売予定表や特集記事を見ながら、「次に何を買うか」を考える時間も、ゲームの楽しみの一部だったんですね。
特にPlayStationはソフトの数が非常に多く、ジャンルも幅広かったため、雑誌の役割はかなり大きかったと言われています。
当時の代表的なゲーム雑誌
ゲーム雑誌黄金期には、多くの人気雑誌が存在しました。代表的なものを簡単に整理すると次の通りです。
| 雑誌名 | 特徴 |
|---|---|
| ファミ通 | ゲーム業界全体を扱う総合誌 |
| 電撃PlayStation | PlayStation専門誌 |
| Vジャンプ | ゲームと漫画を組み合わせた情報誌 |
それぞれ方向性は違いますが、共通しているのはゲーム文化を支えるメディアだったという点です。
ゲームのヒットを雑誌が後押しする時代
現在はSNSや動画配信がゲームの人気を広げる大きなきっかけになります。
しかし当時は、ゲーム雑誌の特集記事が作品の人気を後押しするケースも少なくありませんでした。
特集記事が組まれると、
- ゲームの魅力が詳しく紹介される
- 読者の興味が高まる
- 口コミが広がる
という流れが生まれます。
つまりゲーム雑誌は、単に情報を伝えるだけでなく、ゲーム文化を広げるメディアでもあったのです。
攻略本文化もこの時代に広がった
ゲーム雑誌黄金期には、もう一つ大きな文化がありました。それが攻略本文化です。
ゲームをクリアするための情報は、当時はインターネットではなく本から手に入れるのが普通でした。
基本的な流れは次のようになります。
- 雑誌で攻略のヒントを知る
- さらに詳しい情報が欲しくなる
- 完全攻略本を買う
このように、雑誌と攻略本は役割が分かれていたのです。
| 媒体 | 役割 |
|---|---|
| ゲーム雑誌 | 速報・特集・途中攻略 |
| 攻略本 | データ・完全攻略 |
電撃PlayStationも、この流れの中で重要な役割を果たしていました。

雑誌の記事を読みながらゲームを進め、より深く遊びたい人は攻略本を買う。こうした文化が、1990年代から2000年代のゲーム体験を形作っていたと言えるでしょう。
なぜ電撃PlayStationは終了したのか
約25年続いた『電撃PlayStation』ですが、2020年に定期刊行が終了しました。
長く続いた人気雑誌だっただけに、「なぜ終わってしまったのか?」と疑問に思う人も多いでしょう。
結論から言うと、最大の理由はゲーム情報を取り巻く環境が大きく変わったことです。
特に大きかったのは、次の3つの変化です。
- インターネットの普及
- 攻略情報のデジタル化
- ゲームメディアの多様化
順番に見ていきましょう。
最大の理由はインターネットの普及
1990年代のゲーム雑誌は、情報のスピードという点でとても重要な存在でした。
新作ゲームの情報は、基本的に雑誌で初めて公開されることが多かったからです。
しかし2000年代後半になると状況が変わります。
ゲームメーカーは公式サイトやSNSを通じて、直接情報を発信するようになりました。
現在では、次のような流れが一般的です。
- メーカー公式サイト
- 公式YouTube
- SNS(Xなど)
- ゲームニュースサイト
このように情報の発信源が増えたことで、雑誌だけが情報の中心という状況ではなくなりました。
攻略情報の中心がインターネットに移った
もう一つ大きな変化が、攻略情報のあり方です。
かつては、ゲームの攻略情報を知るためには雑誌や攻略本を読むしかありませんでした。
しかしインターネットが普及すると、状況は一気に変わります。
現在では、
- 攻略Wiki
- 動画解説
- プレイ配信
- 攻略ブログ
など、さまざまな形で攻略情報が共有されています。
しかも更新スピードが非常に早く、ゲーム発売から数日で多くの情報が公開されることも珍しくありません。
この変化によって、雑誌の攻略記事の価値が相対的に下がったと言われています。
ゲームメディアの形そのものが変わった
さらに言えば、ゲーム情報のメディアは雑誌から動画・配信・SNSへと広がりました。
| 昔 | 現在 |
|---|---|
| ゲーム雑誌 | ゲームニュースサイト |
| 攻略本 | 攻略Wiki |
| 読者投稿 | SNSコミュニティ |
| レビュー記事 | ゲーム実況・動画レビュー |
つまり、かつて雑誌が担っていた役割が、複数のメディアに分散していったのです。
こうした状況の中で、2020年3月発売のVol.686をもって『電撃PlayStation』は定期刊行を終了しました。
もちろんこれは、雑誌が完全に価値を失ったという意味ではありません。

ただし少なくとも、ゲーム情報の中心が紙媒体だった時代が終わったことを象徴する出来事だったと言えるでしょう。
今でも体験できる?PlayStation黄金期のゲーム文化
電撃PlayStationが活躍していた時代は、ちょうどPlayStation黄金期と重なっています。
1990年代後半から2000年代前半にかけて、PlayStationには数えきれないほどの名作ゲームが登場しました。
- バイオハザード
- ファイナルファンタジーシリーズ
- メタルギアソリッド
- グランツーリスモ
こうした作品の情報や攻略、開発秘話などを伝えていたのがゲーム雑誌であり、その代表格のひとつが電撃PlayStationでした。
そして今でも、この時代のゲーム文化を気軽に体験できる方法があります。
PlayStation Classicで名作ゲームを体験できる
PlayStation初期のゲーム文化を手軽に体験できるハードとして登場したのがPlayStation Classicです。
これは初代PlayStationを小型化した復刻ハードで、当時の名作ゲームがあらかじめ収録されています。
特徴を簡単にまとめると次の通りです。
- 初代PlayStationをコンパクトに復刻
- 名作ゲーム20本を収録
- HDMI接続でテレビにそのままつながる
電撃PlayStationが紹介していた時代のゲームを、今の環境で気軽に遊べるのが大きな魅力です。
PlayStation Classic
✅ Amazonでチェックする|✅ 楽天でチェックする
当時のゲームは、グラフィックこそ現代よりシンプルですが、そのぶんゲームデザインやアイデアの面白さが際立っています。
電撃PlayStationを読んでいた世代にとっては懐かしい体験になりますし、今初めて遊ぶ人にとっても「昔のゲームはこんな雰囲気だったのか」と新鮮に感じるはずです。
また、PlayStationそのものの歴史を知ると、当時のゲーム文化がより立体的に見えてきます。
電撃PlayStationは、こうしたPlayStation時代のゲーム文化とともに成長した雑誌でした。

そのため、この時代のゲームを実際に触ってみると、当時の雑誌記事の熱量や、読者たちの盛り上がりを少し想像できるかもしれません。
よくある誤解:電撃PlayStationについて勘違いされやすいポイント
電撃PlayStationは長く続いた有名なゲーム雑誌ですが、実は少し誤解されやすい部分もあります。
ここでは、よくある勘違いを整理しながら、実際の位置づけを見ていきましょう。
ファミ通と電撃PlayStationは同じ雑誌?
ゲーム雑誌と聞くと、多くの人がまず思い浮かべるのが『ファミ通』です。そのため「電撃PlayStationも同じような雑誌では?」と思われることがあります。
しかし実際には、両者の立ち位置はかなり違います。
| 雑誌名 | 特徴 |
|---|---|
| ファミ通 | すべてのゲーム機を扱う総合ゲーム雑誌 |
| 電撃PlayStation | PlayStation専門のゲーム雑誌 |
つまりファミ通はゲーム業界全体を扱うメディアで、電撃PSはPlayStationユーザー向けの専門誌でした。
PlayStationのゲームを深く知りたい人にとっては、電撃PSの方が詳しい情報を得られることも多かったのです。
電撃PSはギャルゲー雑誌だった?
もう一つよくある誤解が「電撃PSはギャルゲー雑誌」というものです。
たしかに電撃ブランドは、美少女ゲームや恋愛シミュレーションと相性が良いメディアでした。
- 電撃G’s magazine
- 電撃文庫
など、オタク文化に強い媒体が多かったため、そのイメージが電撃PSにも重なっている部分があります。
ただし、実際の電撃PlayStationはPlayStationの総合情報誌です。
RPG、アクション、ホラー、レースゲームなど、幅広いジャンルを扱っていました。
その中で、比較的マニアックなゲームを丁寧に紹介する傾向があったため、結果的にそうしたイメージが強くなったと考えられます。
攻略本とゲーム雑誌は同じもの?
ゲーム雑誌と攻略本も、初心者が混同しやすいポイントです。
両者は似ているように見えますが、役割ははっきり違います。
| 媒体 | 役割 |
|---|---|
| ゲーム雑誌 | 新作情報、特集、速報攻略 |
| 攻略本 | データ集、完全攻略、やり込み情報 |
電撃PlayStationは雑誌なので、主に最新情報や途中までの攻略を扱っていました。
一方、ゲームを完全に攻略したい場合は、別に発売される攻略本を読むという流れが一般的だったのです。

この違いを理解すると、当時なぜゲーム雑誌が重要だったのかが見えやすくなります。
まとめ:電撃PlayStationは「ゲーム雑誌黄金期」を象徴する存在だった
『電撃PlayStation』は、1994年に誕生し、約25年にわたってPlayStationユーザーに情報を届け続けたゲーム雑誌です。
単なるゲーム情報誌ではなく、当時のゲーム文化を形作る重要な存在でした。
ポイントを整理すると、次のようになります。
- PlayStation専門のゲーム雑誌として1994年に誕生
- 新作情報・攻略・読者投稿など多彩なコンテンツを掲載
- マニアックなゲームの特集で多くのファンを獲得
- ゲーム雑誌黄金期の中心的メディアの一つだった
- 2020年に定期刊行が終了
現在はインターネットや動画メディアが主流になり、ゲーム情報の伝わり方は大きく変わりました。
それでも電撃PlayStationが残したものは小さくありません。
ゲームの発売前のワクワク感、読者同士のコミュニティ、雑誌をめくりながら次に遊ぶゲームを探す時間。
そうした体験は、当時のゲーム文化の大きな魅力でした。
そして、その空気を伝える記録として、電撃PlayStationは今も語られ続けています。
PlayStation初期のゲーム文化に興味がある人は、ハードそのものの歴史を振り返ると、当時の状況がより理解しやすくなります。
電撃PlayStationは、ゲームを紹介する雑誌であると同時に、PlayStation世代の思い出そのものとも言える存在だったのかもしれません。
よくある質問
- Q電撃PlayStationはいつ創刊された雑誌ですか?
- A
電撃PlayStationは1994年に誕生しました。
最初はゲーム雑誌「電撃PCエンジン」の増刊号としてスタートし、その後1995年に独立創刊しています。
PlayStationの登場とほぼ同じタイミングで誕生したため、結果としてPlayStationの歴史と一緒に成長した雑誌になりました。
- Q電撃PlayStationはなぜ人気があったのでしょうか?
- A
人気の理由はいくつかありますが、特に大きかったのは次の3つです。
- PlayStation専門誌だった
- マニアックなゲームまで丁寧に特集していた
- 読者投稿文化が非常に活発だった
特に投稿コーナーは読者の熱量が高く、雑誌の中にコミュニティのような空気が生まれていました。
そのため、単なる情報誌ではなく読者参加型のゲームメディアとして長く支持されたと言われています。
- Q電撃PlayStationは現在も読めますか?
- A
残念ながら、紙の雑誌としての定期刊行は2020年に終了しています。
ただし、過去のバックナンバーや関連コンテンツは一部で閲覧できる場合があります。
また、PlayStation初期のゲーム文化そのものは、復刻ハードや名作ゲームを通じて今でも体験することができます。
当時のゲーム文化を知ることで、電撃PlayStationがどんな役割を果たしていた雑誌だったのかも、より理解しやすくなるでしょう。




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